ソファーなどの家具で世界的地位を確立した旭川家具。その理由は旭川の政策にあった!?

北海道とソファー

旭川家具の歴史

北海道は豊かな自然に恵まれ、家具などの原料に事欠きません。しかし、雪国は1年のほとんどの期間、木を天然乾燥させることができないため、木工芸には適していないはずです。それでも、家具作りで旭川が世界的に有名になれたのはなぜなのでしょうか。

旭川は優れた原料に恵まれた土地でしたが、1890年に木挽場が完成する前後は、細々と木工が行われる程度でした。そんな中、1896年に旭川に陸軍第七師団が設置されます。すると旭川は軍都として栄え、さらに鉄道が開通したことで関係者が多く旭川に移住しました。すると町が出来、学校や庁舎のために家具職人が必要になります。そして、1913年になり冷害で大損害を被った旭川は、公営の木工伝習所を開設し、天候に左右されない家具職人の道をすすめたのです。

その後、1920年代に木の人工乾燥機が普及し、大量生産が可能になり、旭川家具はさらなる発展を築きました。しかし、戦争が発展に大きな影を落とします。不況は戦争が終結するまで続きましたが、進駐軍向け家具を生産することで徐々に業績が回復。旭川は世界有数の家具の生産地に這い上がったのです。

旭川家具のデザインと素材

旭川家具のデザインは、どこか北欧家具に似てシンプルです。北海道は自然が多いとはいえ、寒冷地の素材は限られています。そのため、シンプルで機能的なデザインが重視されたからです。 そして、旭川家具は素材にもめぐまれています。 ブラックウォールナットはチーク、マホガニーとともに世界3大銘木のひとつですが、この高級家具になる素材が、旭川に集まります。良質な素材は、ほど良い堅さと粘りがあり、膨張や収縮による誤差が生じにくいのです。こうした良質な素材から切り出した木材は、無垢材の中でもレベルの高いものとなり、高級感と重厚感を兼ね備えた家具が仕上がります。