ソファーや箪笥はもちろん、ネコ家具もある!?福岡の大川家具ってどんなところ?

福岡県とソファー

福岡県大川市は、日本の代表的な家具の産地です。ここで作られたソファーや箪笥などの家具は、「大川家具」と呼ばれています。大川家具は、あまたの商品構成を持ち、世界へ向けた取り組みも盛んです。しかしそのはじまりは、ひとりの武士が、家臣たちの生活のためにはじめたものでした。

大川家具のはじまりと、東京進出

木材の産地である日田から運ばれた木材は、筑後川の河口にある大川市に集まります。そんな大川市の中でも榎津は、とても高度な木工技術を持つ船大工が集まる土地でした。そんな中、1536年(室町時代後期)に、榎津久米之助が榎津指物をはじめます。この榎津指物こそが、大川家具のおこりです。

榎津久米之助は、足利幕府12代将軍足利義晴の家臣である榎津遠江守の一族でした。しかし、遠江守が戦死してしまい、榎津久米之助は大川に寺を建てて出家。同時に彼は豊富な材木に目をつけて木工業を起こしたのです。これは全て、一緒に大川へ来た家臣たちの生活のためでした。しかし、何の技術もない家臣たちは家具を作ることはできません。そこで榎津久米之助は、高度な技術を持つ船大工たちに目をつけ、家臣たちにその技を学ばせたのです。 榎津久米之助の死後も、家臣たちは家具作りを続け、江戸時代後半の榎津は、京・大阪などと競うほどの指物産地となりました。

そして1889年(明治22年)、町村合併により大川町が誕生します。これにより町全体の4分の1が木工関係者となり、大川は家具作りの町と呼ばれるようになりました。 その後の戦争の波にも負けず、大川家具は、さまざまな品評会や博覧会に出品し続けます。同時に機械化を推進し、家具の大量生産が可能になりました。

さらに大川家具は、1955年に開かれた第1回全国優良家具展への出品と、西日本物産展での最高賞受賞を機に、京阪神地区や東京との取引を開始したのです。

現代の大川家具

現代の大川家具は、伝統を重んじることはもちろん、新しいことにも盛んに取り組んでいます。 中でも、大川家具の若手技術者や経営者による、世界へ向けた最先端デザインの提案や、ブランドイメージの再構築への取り組みが盛んです。

この取り組みの結果、民芸家具を得意としていた大川家具は、都会的な家具から子供向けの家具まで、幅広い商品構成を持てるようになりまました。最近では猫のための「ネコ家具」も世界で話題になっています。