デニムの聖地、岡山で発見。「デニムソファー」の魅力

ソファーと岡山県のイラスト

岡山といえば、言わずと知れたデニムの街です。いま『世界中の一流ファッションブランドが「岡山デニム」を採用している』とまで言われています。なぜ「岡山デニム」はそこまでの成長を遂げたのでしょうか。

また、ファッションで人気のデニムですが、デニム素材で作られたソファーに注目してみます。その魅力とは?

岡山デニムの土壌

倉敷市から30kmほど南下した「児島地区」。瀬戸内海に面した港町です。この地はかつて、その名につくとおり、海に浮かぶ「島」でした。しかし戦国時代よりすすめられた干拓により、本州と地続きとなりました。そのため、もともと海だったこの土地は、その土壌に多くの塩分を含み、米づくりには向いていません。そこで江戸時代より、塩分土壌でも育つ「綿花」の栽培が始まりました。

一方、県西部、広島との県境に位置する「井原地区」。同じく綿花の栽培が盛んな上、藍の栽培、藍染めにも強い地域です。そのためここは、江戸時代から続く「備中小倉」という織物が有名で、これは表が紺、裏が白という織物です。そのデニムに似た特徴から、国内デニムの原点といわれています。

岡山デニムの誕生と成長

綿業の盛んな岡山は、明治時代になると紡績所が設立され、大正時代になると学生服の製造でトップシェアを誇るようになります。耐久性が重要な学生服でトップをとるというのは、岡山が縫製・裁断の技術で高度なノウハウを有している証です。

しかし時代は進み、学生服の素材は、綿麻から合成繊維がその役割を取って代わるようになります。そうなると岡山は、その時代の流れに困窮し、次の活路を見いださなければならなくなります。

一方、戦後の日本では、米軍兵が残していったデニムが古着として人気でした。そこで岡山は、その技術をもってデニムの製造に目をつけ、学生服製造からデニム製造の地へと変貌をとげます。それが「岡山デニム」が誕生したきっかけと言われています。

2009年、「児島ジーンズストリート」が誕生しました。「シャッター商店街」であった空き店舗を利用し、岡山デニムの販売拠点となっています。現在はカフェなども含め、30店ほどが店を構えており、お好みのデニムを探せる、人気の観光地となっています。

岡山デニム、その魅力

さて「岡山デニム」が世界のブランドをも魅了する理由は何なのでしょうか。 それは旧式の織機で織られる生地ならではの、ザラザラとした凹凸感です。職人が糸の強さを調整することにより、その凹凸に微妙な強弱が出ます。機械織りでは出せないこのムラが、綿ならではの素材感と、使い込むほどにきれいな色落ちを作り出します。そしてはくたびに体になじみ、その魅力は時間とともに増して、世界ブランドのクリエイターたちをも魅了するのです。

高級ブランドでは、ボトムスとしてだけでなく、スーツやタキシードの生地としても採用されます。フォーマルながら、デニムの「抜け感」が、おしゃれ上級者を感じさせます。そしてデニムの魅力はファッションに採用されるだけでは飽き足らず、ソファーやクッションなど、その魅力は広がりをみせています。

岡山デニムソファーの魅力

デニム地で作られたソファーの魅力といえば、何といってもそのカジュアル感でしょう。 コーディネート次第でいろいろなテイストに仕上がりますが、せっかくデニム素材を選ぶなら、カジュアルなかっこよさをいかしたいところです。

色落ちしたデニムにダメージ加工された素材なら、西海岸テイストでかっこよくきまります。フレームもナチュラルに、無垢材にエイジング加工されたものがマッチします。海辺の流木をイメージさせ、全体が海岸テイストにまとまります。

そのひとつとして、大塚家具から「セルヴィッチデニム」のソファーが発売されています。 「セルヴィッチ」とは、デニム生地を織った際の「耳」のことです。「耳」とは、生地の両端のほつれ止めのことで、「赤耳」とも言われ、赤色の糸で生地の端が留められています。 この「耳」は機械織りには発生しない、旧式の織機で織られる生地ならではものです。 岡山デニムの象徴、「セルヴィッチデニム」でつくられたこのソファー、デニム特有の縫い目と、色落ちから感じられるその奥行き感が、デニムラバーたちを魅了するソファーです。

さて、濃い色目のデニムならば、同じアメリカでも、ニューヨーク・ブルックリン風に仕上がります。フレームは古びた感じのアイアン素材がマッチします。インダストリアルな「男前インテリア」で、かっこよくきまります。

いきなりデニム素材を取り入れるに抵抗がある方は、ビーズクッションソファーやスツールなど、ワンポイントで置くのも、さりげなくておしゃれです。無印良品でも手ごろな価格で販売されています。